久しぶりに読んだ「ガリレオ」だったが、やはり安定の面白さだった。
「加賀恭一郎」をシリーズを読めば阿部寛さんが思い浮かぶように「ガリレオ」シリーズを読めば自然と福山雅治さんや柴咲コウさんが思い浮かんでしまう。映像化されている作品が多い東野圭吾作品を読む時は作品の中の登場人物を具体的に思い浮かべることができるため、他の作品と比べて作品への没入度が高いような気がする。
今回も読み始めるとすぐに頭の中で福山さん演じる湯川学こと「ガリレオ」や柴咲コウさん演じる内海薫が動き始めた。
物語は行方不明となったある少女の遺体が発見されるところから始まる。逮捕歴のある容疑者が逮捕されるものの、証拠不十分ですぐに釈放されてしまう。ここから少女の家族や少女を慕う人たちの苦しい日々が始まる。しかし、その容疑者もまた何者かによって殺害されてしまう……。
物語の序盤は淡々と読み進めることができたのだが、中盤から後半にかけては読み進めるのがつらかった。なぜなら、今回、殺害されたのが殺されても仕方のないような極悪非道な男であり、その容疑者としてガリレオが追い詰めるのが「良い人」たちだからである。
ただし、今回のガリレオは「容疑者Xの献身」の時のように容疑者を追い詰めるものの、同じ轍は踏まずに最後は容疑者に対してある提案をする。「容疑者Xの献身」を読んでいる人にはここは痺れる場面だ。私も思わずニヤっとしてしまった。
物事の本質は上辺だけを見ているだけではわからない。物事の上辺だけを見て判断しがちな私たちに「もっと本質を見なさい!」とガリレオを通して警鐘を鳴らしているような気がした。
「本当のこと」が必ずしも「正しいこと」だとは限らないということを描いた物語だった。
ちなみに映画版はまだ観ていない。